Posted by 松浦巽 - 2013.01.03,Thu
ほのぼのコメディ。Hなし。
※pixivに別バージョンのお試し読みあり
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山根が映画館で偶然隣の席になったのは、別の部署の新入社員・岡田。その後もいろいろ関わることになるが、無表情で無愛想な岡田は取りつく島もない。山根はそんな岡田が気になって気になって……でもこれって、恋とも友情とも違うような――?
▼お試し読み▼
甥っ子のお供で映画を観に行った。
不覚にも鼻の奥がつんとした。
こっそり目頭を押さえていると、隣から盛大に鼻をすする音が聞こえた。
思わず目を向けた先には、見覚えのある顔があった。
別の部署の新入社員だ。名前はたしか、岡田勇紀。
ポケットティッシュをさしだしてやると、「どうも」と言ってすなおに鼻をかんだ。
表情のない頬に、涙の筋が光っている。
どきりとした。
岡田は残ったティッシュを返しながら言った。
「あなたも、鼻水垂れてます」
「おおー、いいね。でかくて本物の熊みたい」
「これじゃ子供が怖がりそうだけど」
「ギャグだからいいんだよ」
「ギャグって……俺、本当に立ってるしかできないぞ? それよりこれ、どうやって歩くんだ。前がよく見えなくて――」
言っている矢先に足がもつれて転んだ。
「ふむ。現場まで案内させるから、ちょっと待て。……もしもし、岡田か? 急いで控室まで来てくれ。クマゾーを舞台袖まで連れていってほしいんだ」
岡田の名前を聞いて、山根はさらにげんなりした。身動きもままならないこの状態に、コミュニケーションのとれない岡田ときては、はたして無事に現場までたどりつけるのだろうか。着ぐるみショーの前に新たな試練が増えた気分だ。
瀬川の手を借りてどうにか立ちあがったところに、控えめなノックの音がして、当の岡田が姿を現した。
「頼んだぞ、岡田。クマゾーの中身は、よそから応援に来てくれた山根さんだ。粗相のないようにな」
わざわざ言わなくてもいいのに、瀬川が冗談めかして紹介する。
岡田の動きが一瞬とまった。ように見えた。
「こちらへ」
だがすぐに手が伸ばされ、肘のあたりをつかまれて部屋から連れ出される。
岡田の誘導は恐れたほどではなかった。むしろうまかった。重すぎる頭部のせいでバランスを崩しがちな山根を、横からさりげなく支え、障害物の少ない場所を選んでゆっくり進んでいく。会話がないのも、歩くことに集中できてかえっていいぐらいだ。
瀬川が大丈夫と言い切った理由は、じきにわかった。
それ以来、二人の距離が少し縮まった――ということはなかった。
すきを見て山根が話しかけても、岡田はこれまでどおり黙殺を続けていた。とはいえまったく反応がないわけでもなく、十回に一回ぐらいは必要最小限の言葉が返ってくる。不毛なアタックをくりかえすうちに、しだいにその法則も見えてきた。返事があるのは仕事に関する事柄だけ、世間話やプライベートな領域になると、まるで耳に入らなかったふりをするのだ。
徹底している。
山根は、苛立つよりも舌を巻いた。
ここまでくると、もはや人間離れのレベルだ。最初の一言で話の内容を判断し、少しでも仕事に関係のない話題であれば即座に無視モードに入る。一般的に考えればそのほうが面倒だと思うのだが、岡田はかたくなにその方針を崩さない。無表情のまま一つの例外もなく話題を選別する様子は、さながら融通のきかないアンドロイドのようだ。
だが山根は知っている。あのとき岡田は、映画を観て、山根と同じシーンでぼろぼろ泣いていた。対応のしかたがおかしいだけで、岡田にも山根と同じような喜怒哀楽はあるはずだ。
そんな折、山根は信じがたいものを目の当たりにした。
これではまるで岡田の盲目的なファンではないか。アバタもエクボというか、何でもかんでもいいほうに解釈しようとしている。
最近では会社でもそうだった。だれかが岡田の悪口を言っていると、思わず反論しそうになる。そんなことをすればさらに反感を買うのがわかっているので、岡田のためにぐっとこらえるが、そうするとこんどは悪口を言っていた人間に対して、つい冷たい態度をとってしまう。
だれとでもあたりさわりなくつきあえるのが山根の強みだったのに、それももはや風前のともしびだ。
――いったい俺は、岡田を支配したいのか、守りたいのか。
結局何も買わずに店を出ると、山根は夕焼けに染まりはじめた道を、自宅へ向かってぼんやり歩きはじめた。
強い衝撃を感じたのはそのときだ。
山根が尻餅をつくと同時に、急ブレーキをかけた車の悲鳴のような音が響き、すぐ目の前で乗用車が停まった。
はねられたのかと思ったが、そうではなかった。
車は車道に停まり、自分は歩道に倒れているが、衝撃は背後から来たように感じた。どうやら、ぼうっとしていて気づかずに車道に出たところを、すんでのところでだれかが引き戻してくれたらしい。
「馬鹿野郎! ふらふらしてんじゃねえ!」
ぶつかっていないとわかると、乗用車の運転手は罵声を浴びせてすぐに走り去ってしまった。
驚いて足をとめていた通行人も、興味を失ったようにそれぞれ歩きはじめる。
ようやく後ろを向いた山根は、そこにこわばった表情で立っている岡田を見つけた。
「何してるんですか」
岡田は、初めて自分から口を開いた。
「着ぐるみがなくても、まっすぐ歩けないんですか?」
甥っ子のお供で映画を観に行った。
不覚にも鼻の奥がつんとした。
こっそり目頭を押さえていると、隣から盛大に鼻をすする音が聞こえた。
思わず目を向けた先には、見覚えのある顔があった。
別の部署の新入社員だ。名前はたしか、岡田勇紀。
ポケットティッシュをさしだしてやると、「どうも」と言ってすなおに鼻をかんだ。
表情のない頬に、涙の筋が光っている。
どきりとした。
岡田は残ったティッシュを返しながら言った。
「あなたも、鼻水垂れてます」
「おおー、いいね。でかくて本物の熊みたい」
「これじゃ子供が怖がりそうだけど」
「ギャグだからいいんだよ」
「ギャグって……俺、本当に立ってるしかできないぞ? それよりこれ、どうやって歩くんだ。前がよく見えなくて――」
言っている矢先に足がもつれて転んだ。
「ふむ。現場まで案内させるから、ちょっと待て。……もしもし、岡田か? 急いで控室まで来てくれ。クマゾーを舞台袖まで連れていってほしいんだ」
岡田の名前を聞いて、山根はさらにげんなりした。身動きもままならないこの状態に、コミュニケーションのとれない岡田ときては、はたして無事に現場までたどりつけるのだろうか。着ぐるみショーの前に新たな試練が増えた気分だ。
瀬川の手を借りてどうにか立ちあがったところに、控えめなノックの音がして、当の岡田が姿を現した。
「頼んだぞ、岡田。クマゾーの中身は、よそから応援に来てくれた山根さんだ。粗相のないようにな」
わざわざ言わなくてもいいのに、瀬川が冗談めかして紹介する。
岡田の動きが一瞬とまった。ように見えた。
「こちらへ」
だがすぐに手が伸ばされ、肘のあたりをつかまれて部屋から連れ出される。
岡田の誘導は恐れたほどではなかった。むしろうまかった。重すぎる頭部のせいでバランスを崩しがちな山根を、横からさりげなく支え、障害物の少ない場所を選んでゆっくり進んでいく。会話がないのも、歩くことに集中できてかえっていいぐらいだ。
瀬川が大丈夫と言い切った理由は、じきにわかった。
それ以来、二人の距離が少し縮まった――ということはなかった。
すきを見て山根が話しかけても、岡田はこれまでどおり黙殺を続けていた。とはいえまったく反応がないわけでもなく、十回に一回ぐらいは必要最小限の言葉が返ってくる。不毛なアタックをくりかえすうちに、しだいにその法則も見えてきた。返事があるのは仕事に関する事柄だけ、世間話やプライベートな領域になると、まるで耳に入らなかったふりをするのだ。
徹底している。
山根は、苛立つよりも舌を巻いた。
ここまでくると、もはや人間離れのレベルだ。最初の一言で話の内容を判断し、少しでも仕事に関係のない話題であれば即座に無視モードに入る。一般的に考えればそのほうが面倒だと思うのだが、岡田はかたくなにその方針を崩さない。無表情のまま一つの例外もなく話題を選別する様子は、さながら融通のきかないアンドロイドのようだ。
だが山根は知っている。あのとき岡田は、映画を観て、山根と同じシーンでぼろぼろ泣いていた。対応のしかたがおかしいだけで、岡田にも山根と同じような喜怒哀楽はあるはずだ。
そんな折、山根は信じがたいものを目の当たりにした。
これではまるで岡田の盲目的なファンではないか。アバタもエクボというか、何でもかんでもいいほうに解釈しようとしている。
最近では会社でもそうだった。だれかが岡田の悪口を言っていると、思わず反論しそうになる。そんなことをすればさらに反感を買うのがわかっているので、岡田のためにぐっとこらえるが、そうするとこんどは悪口を言っていた人間に対して、つい冷たい態度をとってしまう。
だれとでもあたりさわりなくつきあえるのが山根の強みだったのに、それももはや風前のともしびだ。
――いったい俺は、岡田を支配したいのか、守りたいのか。
結局何も買わずに店を出ると、山根は夕焼けに染まりはじめた道を、自宅へ向かってぼんやり歩きはじめた。
強い衝撃を感じたのはそのときだ。
山根が尻餅をつくと同時に、急ブレーキをかけた車の悲鳴のような音が響き、すぐ目の前で乗用車が停まった。
はねられたのかと思ったが、そうではなかった。
車は車道に停まり、自分は歩道に倒れているが、衝撃は背後から来たように感じた。どうやら、ぼうっとしていて気づかずに車道に出たところを、すんでのところでだれかが引き戻してくれたらしい。
「馬鹿野郎! ふらふらしてんじゃねえ!」
ぶつかっていないとわかると、乗用車の運転手は罵声を浴びせてすぐに走り去ってしまった。
驚いて足をとめていた通行人も、興味を失ったようにそれぞれ歩きはじめる。
ようやく後ろを向いた山根は、そこにこわばった表情で立っている岡田を見つけた。
「何してるんですか」
岡田は、初めて自分から口を開いた。
「着ぐるみがなくても、まっすぐ歩けないんですか?」
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